文章を書くとき語尾をどのように使い分けていますか? 日本語文には「常体」と「敬体」があります。先ほどの冒頭文を常体にすれば、「文章を書くとき語尾をどのように使い分けているだろうか」。ちょっと印象が変わりますよね。今回は、ライティングにおける常体と敬体について解説します。
「常体」「敬体」とは?
常体とは、「~だ」「~である」「~した」「~だった」などの語尾で締め括る文のこと。「だ、である調」とも言われます。敬体とは「~です」「~ます」の語尾文、いわゆる丁寧語の文ですね。「ですます調」とも言われています。常体は法の条文や契約書、新聞や論文、教科書、小説、エッセイなどで見られることが多く、敬体は雑誌やパンフレット、広告、説明書などに用いられています。
文体は掲載物のルールに従う
例えば教科書は種類や学年によって常体が用いられていますし、文芸作品には敬体が採用されている小説や随筆もあります。ブログや日記、手紙では、常体と敬体が入り混じった文章も見受けられます。
ライティングを行う際は、これら常体と敬体をどのように使い分ければよいのでしょう? 身も蓋もなく言えば、商業文章を書く場合は、掲載される媒体のルールに従えば済みます。クライアントの多くは、「です・ます」などの書き方全般について指示を寄こすはず。その規則を守ることがライターの基本です。
署名記事などはライター任せ
ただ案件によっては、常体・敬体が決まっていなかったりライターに任されていたりするケースもあるため、判断に悩むかもしれません。そんなとき、本記事がご参考になれば幸いです。常体と敬体どちらが良い悪いという単純な話でもないので、次はそれぞれの文体がもたらす効果から考えてみましょう。
小説における「常体」と「敬体」
小説における「常体」と「敬体」の使い分けは、文章の語り口調や登場人物の性格・関係性を表現するための重要な手法です。
- 常体(じょうたい)
- 常体はカジュアルな表現で、親しい人々同士の会話や、自分自身の感じたことを直接的に表現する場合に使います。
- 登場人物が年下か同世代、または親しい関係にある人物同士の会話に使用されることが多いです。
- 話し言葉に近く、親しみやすい印象を与えます。
- 敬体(けいたい)
- 敬体は丁寧な表現で、公的な場所や目上の人々との会話で使います。
- 人物が敬意を示すべき相手、例えば上司や年長者との会話に使用されます。
- 敬体は堅苦しい印象を与えることもあるため、状況や人物の関係に応じて適切に使い分ける必要があります。
使い分けの考え方
- 作品全体のトーンやテーマ性に合わせて常体と敬体を使い分けることで、作品に深みを与えることができます。
- 人物の社会的地位、年齢、性格などを反映させるために、常体と敬体を使い分けることも効果的です。
- 敬体を使うことで、人物の敬意や緊張感を表現することができます。逆に、常体を使うことで、人物同士の親しさやカジュアルな関係を描写することができます。
小説における言葉の使い方は、作品の世界観や人物描写に深く関係しているため、これらの要素をよく考えながら常体と敬体を使い分けると良いでしょう。
ブログにおける「常体」と「敬体」
ブログにおける「常体」と「敬体」の使い分けは、ブログの目的、読者層、コンテンツの内容などに応じて変化します。以下はそれぞれの特徴と使い分けの考え方です。
- 常体(じょうたい)
- 親しみやすく、カジュアルな印象を与えます。
- 個人的な意見や日常の出来事を記述するブログ、趣味やライフスタイルに関連するブログなどでよく使われます。
- 読者との距離を近く感じさせる効果があるため、コミュニケーションを重視するブログに適しています。
- 敬体(けいたい)
- 公式な情報提供、ビジネス、専門的な内容を扱うブログなどで使うと、信頼感を高める効果があります。
- 丁寧な表現が求められる場合、たとえば商品やサービスの説明、専門的な情報の提供などに適しています。
使い分けの考え方
- ブログの目的を明確にする: ブログが企業の公式情報提供の場であれば敬体、個人的な意見交換や趣味の共有であれば常体が適している場合が多いです。
- 読者層を考慮する: 読者が一般の消費者であれば常体で親しみを感じさせることが有効な場合が多く、ビジネス関係者や専門家などに向けて書く場合は敬体で信頼感を高めることが考えられます。
- コンテンツに応じた使い分け: 一つのブログ内でも、記事の内容に応じて常体と敬体を使い分けることができます。例えば、公式なお知らせやプレスリリースには敬体、日常のつぶやきや感想などには常体を使用するなどです。
ブログの内容と読者層に応じて、常体と敬体をうまく使い分けることで、より効果的なコミュニケーションが可能となります。
常体と敬体それぞれの効果
常体と敬体の効果を考える上でキーとなる概念が〈距離感〉です。例を比較すると分かりやすいかもしれません。
■常体 この文章は例だ。例文を書いてみた。
■敬体 この文章は例です。例文を書いてみました。
常体は読者を引き寄せ、敬体は読者へ歩み寄る
常体のほうは単刀直入、言いたいことをストレートに述べている感じがします。比べて敬体は、読む人に気を遣っている感じです。よりオーディエンスを意識している印象も受けます。
常体と敬体のどちらが読みやすく取っ付きやすいかは、人によって分かれます。テーマや媒体によっても、適切な文体は変わってくるでしょう。ただしテキストへの距離感は、皆さんだいたい共通しているのではないでしょうか。常体はテキストが近め、敬体はテキストが遠めに感じられませんか? 読者とテキストの間は、常体だと詰まり気味、敬体だと離れ気味になります。もっと言えば、敬体のほうがゆとりを持って読めます。
敬体には読者へ語りかける意図がある
なぜなら、敬体は、ですますを語尾に付けることで読者に語りかける姿勢を示しているからです。何かを伝える語り手(≒筆者)が前面に出てきます。述べられる内容とそれを知る読者の間を、語り手が仲立ちします。敬体は、情報に触れる読者にとって緩衝材の役割を果たしていると言えます。一方で常体は、偉そうな印象を与える場合があります。
こうなると、敬体のほうが誠実な文体のように思えますよね。けれど、本当にそうでしょうか。確かに、先述した低学年向け教科書など様々なテキストは、読者が情報を得やすいよう文体に配慮しています。ただ、敬体を用いる目的は千差万別なのです。
常体は情報としての完結性を伝えられる
例えば企業のパンフレットや広告、説明書の多くは、購買客の拡充や顧客の固定化を図って敬体が用いられています。丁寧な言葉遣いで低姿勢を表し、消費者に安心感を与えようとしているわけです。何とか信用を得たいがため優しい語り口を採用し、サービスへの間口を広げているとも言えます。
その点、新聞は、報道という揺るぎない使命のもと自信たっぷりに常体が用いられている……と言いたいところですが、実際には情報伝達を優先しているからなのでしょう。
常体と敬体、どう使い分ける?
繰り返しますが、常体と敬体は、どちらが良い悪いというものではありません。テキスト提供者の意思や目的によって、選択される文体です。ライターはクライアントの指定に沿って、もしくは掲載メディアの規則に応じて執筆します。ただし常体と敬体それぞれの効果を自覚しておけば、ライティングの作業効率はより向上すると思います。
情報の伝え方が異なる
常体は情報をダイレクトに伝え、敬体は情報をソフトに伝えます。このうち、より多くの人に読まれやすいのは、礼儀やマナー、世間体などのレイヤーが敷かれた敬体文のほうでありましょう。敬体のナレーターは、なるべく読者を不快にさせぬよう配慮しながら語りかける、司会者のようなもの。テキストを通して情報を伝達し、それによって何らかのサービス利用につなげたい目的があるなら、敬体の使用が無難です。
文章の常体と敬体の選び方とは
以上を踏まえ、両文体を使い分ける大まかな基準をまとめると、
■常体 一定の読者層が確実に見込まれる場合(一定数の読者を確保している場合)に有効
■敬体 様々な人に広く読んでほしい場合(不特定多数の読者を獲得したい場合)に有効
となります。普段の発話で、常体と敬体どちらが多く使われているかといえば、ですます調の丁寧語すなわち敬体です。家族や友人とは常体で話していると思いがちですが、「だ」はともかく「である」と言う人はそういないでしょう。「~だよ」「~だね」などは話し言葉であり、常体・敬体とは違うカテゴリーです。こう考えると、敬体のほうが日常の延長感覚で接しやすいと言えます。会話に最も使われているため、文字として読む際にも違和感が少ない言葉ということになります。
常体は、取り扱い注意!
ここまで述べてきた癖に、私自身いまだに使い道に悩むのが常体です。特に「~である」の効用がよく分かりません。いざ使ってみると、取りあえず何かを言い切った文になって締まった感が出ます。かっこ良さそうですが、どことなく偉そうでもあり、書き手としては居心地が良くありません。ただし読み手としても常体が嫌かというと必ずしもそうでなく、そのテキストや筆者、掲載メディアに馴染みがあれば常体文でもさほど気にならないように思います。
常体は率直な文体で敬体はおもねる文体
先ほど、常体は「一定の読者層が確実に見込まれる場合」に有効と書きました。ですます調で読者に配慮する敬体に比べ、常体は余計な気遣いなしに何かを伝える文体ではないかと考えたからです。
もう少し強く言うと、敬体は丁寧な言葉遣いでおもねって語りますが、常体は率直に語ります。つまり、読者の顔色を伺う仕草や忖度を省いて何かを伝えられる。そんなメリットが常体にはあります。そしてその効果が十分に発揮されるには、常体テキストと読者の間に、ある程度の信頼関係が築かれている必要があります。ですます調でなくとも怒らず読んでくれる読者が確かに存在する、という前提です。
商業文章で常体を使う際には注意が必要
ゆえに商業文章で常体を検討する際は、慎重さが求められます。キャッチコピーやリードなどの短文はともかく、長文での常体使用は、読者層を信頼している場合におすすめです。企業活動で使い古されている「信用」ではなく「信頼」です。
敬語使用が敬意表現とされる日本社会では、よく知らない相手から敬語抜きの言葉で語りかけられると、文字上でも不審がる人が少なくありません。特に日本は消費者上位の圧力が根強いので、固定客や常連取引先の読者でも、常体文に自尊心を傷付けられて立腹する人はいるでしょう。
文体を混ぜてもいいの?
最後に、常体か敬体を入り混じらせる文章について考えておきましょう。一般的に、常体と敬体は混ぜるべきでない、どちらかに統一すべしとの意見が多数派です。商業文のライティングでは、私もそう考えます。
語尾の書き方に注意が必要
ただし文体の案配は、単なる見映えの問題ではないはずです。これもやはり、テキストと読者の距離感に関わってくると思います。
不規則に語尾を変化させ、常体と敬体を混ぜると、その分ナレーターの独自性が際立ちます。文体の不統一によって、語られる内容よりも、語り口の間合いが目立ちやすくなります。良く言えば文章に起伏が出ますが、悪く言えば独りよがりになります。
文体選びは読者が感じる印象を考慮する
例えば常体多め・敬体少なめの商業文なら、丁寧な言葉を使ってはいるものの見下しているのでは、と疑われるかもしれません。下手な文章と思われるだけならまだしも、なめていると思われるリスクがあるわけです。
このように常体・敬体の混用は読者との距離感を細やかに変化させるため、実践する商業ライターには、効果を自覚した上で適切に駆使する技術が求められます。そもそも、文体混用がテキスト理解を妨げやすい媒体や記事では、読者に無駄な不快や不審を与えぬよう、文体が統一されているはずです。逆に、文体混用が不自然になりにくい媒体や記事(小説やエッセイ、ブログ等)では、使用しやすい技術とも言えます。